2018年5月4日、希望に満ちた明るい話題が飛び込んできました。
ユネスコの諮問機関イコモスはが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産に登録するよう勧告しました。
みなさまも小・中・高校の歴史(日本史)で学ばれたかと思います。
江戸時代の厳しいキリシタン弾圧に対して、表面的には仏教徒を装っていましたが、実は密かにキリシタンを深く信仰した人々を「潜伏キリシタン」といいいます。
今回、世界文化遺産に登録されるという遺産は12資産で構成されています。
6月24日から、バーレーンで開かれる世界遺産委員会で正式に登録が決定するのだとか・・・。
Contents
- 1 潜伏キリシタンの関連遺産ダイジェスト
- 1.0.1 1.原城跡(はらじょうあと)
- 1.0.2 2.春日集落と安満岳(やすまんだけ)
- 1.0.3 3.中江ノ島(なかえのしま)
- 1.0.4 4.天草の崎津集落(さきつしゅうらく)
- 1.0.5 5.外海の出津集落(そとめのしつしゅうらく)
- 1.0.6 6.外海の大野集落(そとめのおおのしゅうらく)
- 1.0.7 7.黒島の集落(くろしまのしゅうらく)
- 1.0.8 8.野崎島の集落跡(のざきじまのしゅうらくあと)
- 1.0.9 9.頭ケ島の集落(かしらがしまのしゅうらく)
- 1.0.10 10.久賀島の集落(ひさかじまのしゅうらく)
- 1.0.11 11.奈留島の江上集落(なるしまのえがみしゅうらく)
- 1.0.12 12.大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
潜伏キリシタンの関連遺産ダイジェスト
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産として登録されれば、日本国内が喜びに包まれますね。
厳しすぎるキリスト教弾圧のなかで、潜伏キリシタンたちが決死の思いで育んだ独特の文化は儚く美しいもの。
ダイジェストでご紹介する潜伏キリシタンが築いた遺産は、地図のように点在しています。
↑長崎県
↑熊本県
場所を確認するだけでも、どんなに大変な思いで暮らしていたのかが伺えますよね。
迫害から逃れながら潜伏キリシタンとして暮らした生活が見え隠れする遺産でもあります。
これらの資産が「世界遺産」として世界中に知られることを願います。
1.原城跡(はらじょうあと)
城郭遺構
島原・天草一揆の主戦場となった長崎県南島原市にあるのが原城跡。
原城は現在、石垣を残すのみとなっています。
この戦いでは、キリスト教弾圧に人々が起こした戦いとして歴史の授業で学習されたことかと思います。
幕府によって総攻撃を受けたキリスト教徒たち、戦を指導したのは16歳の美少年「天草四郎(あまくさしろう)」です。
現在この地には、十字を掲げ戦った天草四郎の銅像が設立されており、近くには有馬キリシタン遺産記念館もあります。
2.春日集落と安満岳(やすまんだけ)
春日集落の棚田
平戸の西に位置する安満岳(やすまんだけ)から海に広がっているのが春日集落で、棚田になっているのが実に美しい地です。
神・仏・キリシタンの三位が存在する安満岳は平戸島の聖地と言われていますが、春日集落は特に潜伏キリシタンが多かったようです。
表向きには神仏を信仰す流も、秘密組織を作って密かに信仰を貫き通しました。
キリスト教解禁後、カトリックに復帰しなかったので協会などはありません。
3.中江ノ島(なかえのしま)
中江ノ島
長崎県の平戸島と生月島双方から約2キロの沖合にある長さ400m、幅50mの無人島です。
なぜ、無人島が世界遺産に?
キリスト教が禁止され、平戸藩によるキリシタンの処刑が行われたことから「隠れキリシタン(潜伏キリシタン)」の聖地となりました。
また、岩からしみ出す聖水を採取する「お水取り」が行われる重要な聖地でもありました。
4.天草の崎津集落(さきつしゅうらく)
﨑津教会
熊本県天草市河浦町﨑津一帯の総称で、羊角湾に面した潜伏キリシタンの里として知られています。
﨑津でも長崎各地の潜伏キリシタンと同じように、オラショ(お祈り)を唱えるなどしたが、違ったことは
アワビやタイラギなどの貝殻を聖具としたことにあります。
貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育んだといいます。
キリスト教解禁後は﨑津諏訪神社の隣に教会堂が建てられました。
5.外海の出津集落(そとめのしつしゅうらく)
出津教会
江戸幕府の禁教政策により、大村藩が厳しく取り締まりましたが、外海は大村城下から遠く離れていることもあり5.000人近くの信者がいたと言われています。
1879年に赴任したド・ロ神父が信者とともに「出津教会」を完成させました。
漆喰(しっくい)の白い外壁は山の緑に映え、清楚なたたずまいが美しく、まるで映画に登場するような素晴らしい景観です。
6.外海の大野集落(そとめのおおのしゅうらく)
大野教会(画像元)
外海地区は、キリスト信者が多く出津(しつ)や黒崎などを中心に、禁教後も信仰を守る潜伏キリシタンも多く存在しました。
大野地区の潜伏キリシタンは、平戸藩主に棄教を迫られて藩を脱した籠手田(こてだ)一党の末裔とされています。
1983年、外海地区に着任したド・ロ神父は信者とともに「大野教会」を完成させました。
石を積み上げた外壁が特徴的な協会です。
7.黒島の集落(くろしまのしゅうらく)
黒島天主堂
禁教期(江戸時代後期)、平戸藩が入植を認めると外海や生月(いきつき)島から移住した潜伏キリシタンが独自の組織で信仰を続けました。
信者の家を御堂にしていましたが、1878年に木造の教会を設立。
後に着任したマルマン神父が本格的な教会建設に取り掛かり、1902年にはレンガ造りの教会が完成しました。
ロマネスク様式の堂々たる教会(黒島天主堂)に、どれだけの信者が心救われたことでしょう。
8.野崎島の集落跡(のざきじまのしゅうらくあと)
野崎集落
野首海岸
舟森集落
野崎島は上五島とは目と鼻の先に位置しており、野崎集落、野首集落、舟森集落とあ理、野首集落と舟森集落が隠れキリシタン集落でした。
野首集落の高台には旧野首教会が建っています。
生活するにはとても厳しい環境の地で、人々の努力と信仰心に尊敬の念を抱きます。
9.頭ケ島の集落(かしらがしまのしゅうらく)
頭ヶ島教会
戦国時代には2.000人以上の信者がいたとされる頭ケ島集落ですが、江戸時代の禁教令により一時キリシタンは途絶えました。
しかし1797年、荒地開墾要員の移住を要請したことがきっかけで、海外から隠れキリシタンが移住し、再び隠れキリシタンの集落ができました。
この後、役人の目が届きにくいことから、潜伏キリシタンが増えたようです。
1887年には木造の教会が建てられ、のち1919年には石造りの教会が完成しました。
10.久賀島の集落(ひさかじまのしゅうらく)
五輪教会
浜脇教会
1566年にキリスト教の布教が始まり、久賀島はとても信者が多く暮らしていました。
しかし政府の禁教令発令により、一時キリシタンが途絶えました。
頭ケ島集落同様、1797年以降、再び潜伏キリシタンが移住し集落ができました。
禁教が解かれた1880年以降、マルマン神父が教会建設を始めましたが、1881年に建てられた浜脇教会は1931年には五輪教会として移築されました。
11.奈留島の江上集落(なるしまのえがみしゅうらく)
江上教会
1797年、4家族の潜伏キリシタンが奈留島の江上地区に移住しました。
この4家族が後1909年頃に教会を設立しました。
1918年には森林とのコントラストが美しいクリーム色をした木造の江上教会が建てられました。
12.大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
大浦天主堂
長崎市にある国宝「大浦天主堂」は皆さんもよくご存知でしょう。
フューレ、プティジャンの両神父によって建てられたゴシック調の作りをした日本で最古の教会であり、ステンドグラスも約100年の歴史を抱えています。
幕末の開国に伴い、在留外国人のために建てられました。
現在は長崎の観光名所になっており、2018年4月には新たに「キリシタン博物館」が開館しました。
大浦天主堂公式サイト
googleマップよりアクセスルートを探すこともできますし、アクセスの文字をクリックしていただきますと、詳しいアクセス方法がわかります。
世界文化遺産に登録されるかも知れない12の資産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」をぜひ、知っておいていただきたいです。
2017年には福岡県玄界灘に浮かぶ「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産登録されましたが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に関して、6月、世界遺産委員会からの報告が楽しみですね!!
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世界遺産に登録勧告された12の資産知ってる?~長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産ダイジェストを最後までお読みいただき、ありがとうございました。