天皇陛下のご譲位により、2019年5月1日に元号が改元されます。
新元号をめぐっては、SNSでも様々な予想がされるなど国民の意識も日に日に高まっているように感じます。
「平成」に代わる新しい元号の発表は4月1日とされていますが、その直前に天皇陛下とともに、皇太子さまにも報告する方向だという政府の発表がありました。
新しい元号については、誰もが気になるところだと感じますが・・。
そもそも元号とは?新しい元号はもう決まっているの?どのように決まるの?予想されている元号はあるの?
様々な疑問がわきませんか?
そもそも元号ってなに?
元号(げんごう)とは、特定の年代に年を単位として付けられる称号のこと。
年号(ねんごう)とも呼ばれることもあるが、元号のみならず、紀年法の名称(西暦や皇紀など)を「年号」と呼ぶ場合もある。
引用:ウィキペディア
元号は「平成31年」というように年数の前に使って表現されますが、これは日本独特の紀年法で「和暦」というもの。
和暦が使われるようになったのは、西暦645年「大化(たいか)」なんです。
645年といえば、歴史の授業でも習った「大化の改新」ですよね。٩( ‘ω’ )و
この改革により、「日本」という国号と「天皇(孝徳天皇/こうとくてんのう)」という称号の使用が始まったとされています。
ただし、この後ずっと元号が存在していたということでもなく、途中で元号がなくなったり、また2つの元号が存在した時代もあったようです。
これが「一世一元」となったのは、明治元年に改元された時のことです。
天皇ひとりに一つの元号ということですが、この時点では法律ではなく、あくまでも天皇の詔勅(しょうちょく)だったのです。
一世一元の詔(いっせいいちげんのみことのり)
太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。
洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。
乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。
其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。
今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。
主者施行せよ。
「元号法」という法律が成立したのは、昭和天皇の高齢化と、世論調査(1976年)において国民の87.5%が元号を使用していることから、1979年(昭和54年)のことです。
元号法は、次の2項で構成されています。
第1項:元号は、政令で定める。
第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
西暦とは?
元号とは、日本独特の「和暦」と言われるものですが・・、「西暦」とは?
明治、大正、昭和、平成と時を経るとともに、「今」が一体いつなのか? 昭和〇〇年が何年前のことなのか? わからなくなり、ややこしい~思いをされた経験がありませんか?
(元号が変わっているため、引き算ができません?!)
そのため、日常の生活の中では西暦を利用する方が多いのではないでしょうか?
西暦とは「イエス・キリスト」が生まれた年の翌年を「西暦元年」としたもので、暦をあらわす方法の一つです。
世界中で使われている紀年法で、歴史の教科書でも馴染深いものです。
「AD(Anno Domini)」と記すこともあり、イエス・キリストが生まれる前を「BD(Before Christ)」と表記されています。
Anno Domini(アンノドミノ)は、ラテン語で「主(イエス・キリスト)の年に」という意味を持つそうです。
日本では江戸時代、カトリックの宣教師によって西暦がもたらされましたが、キリスト教に結びつく紀年法だったため使用が禁じられました。
その後、西暦が再び使われるようになったのは1872年(明治5年)、太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリオ暦)への移行が決まってからのことです。
さらに、日常生活に普及したのは第二次世界大戦後のことになります。
今では普通に西暦を使っていますが、その歴史はそう遠いものではないんですよね。
元号はどのように決めるの?
繰り返しますが、元号とは元号法に基づいて定められるものです。
日本国憲法に基づいて内閣が制定し、皇位の継承は、天皇陛下が御崩御なさった(お亡くなりになられた)ときや、今上天皇のように生前退位されるときなどに行われます。
内閣総理大臣が数名の有職者に依頼して候補名を出し、その後内閣官房長官が検討し、その結果を内閣総理大臣に報告するカタチとなります。
新元号決定にどのような方が関わるのかといいますと、
・内閣総理大臣
・内閣官房長官
・内閣法制局長官
・全閣僚
・衆議院の議長と副議長
・参議院の議長と副議長
・有識者(数名)
天皇陛下ご即位時に決められる元号には、皇居の意向は加味されないのです。
新しい元号の選定には、どのようなことが留意されるのでしょうか?
・国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
・漢字2字であること。
・書きやすいこと。
・読みやすいこと。
・これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと(過去の元号の再使用は不可)。
・俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名等は不可)。
厳選された新元号案は全閣僚会議で協議され、「衆議院・参議院」の議長及び副議長に連絡して意見を聴取します。
その後、閣議において決められます。
「平成」はどのように決まった?
1989年1月7日、昭和天皇が崩御され、皇太子明仁親王が即位されました。
これにより、元号法に基づき改元の政令が出され、その翌日を「平成元年1月8日」とすることにより改元となったのです。
1979年に定められた「元号法」によって改元された初めての元号でした。
ただし、崩御を前提とした手続きは事前に行なえませんので、崩御当日に正式な手続きに入り、翌日改元が行われました。
ちなみに、天皇陛下の生前退位が行われるのは、なんと202年ぶりで、1817年5月7日、光格天皇の退位以来なのだそうです。(江戸時代の第119代天皇)
2019年5月1日ら、歴史に残る日となるでしょうね。
元号にはその意味というものがあり、新元号の発表時に小渕恵三内閣官房長官(当時)が述べた「平成」の名前は、「史記」五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」に由来しています。
「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味(願い)が込められていました。
「平成」の考案者は、東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎氏ですが、実はこれまで元号考案者が公表されたことはなかったそうです。
山本氏に関しても、お亡くなりになられて10年以上が経過してわかったことで、生前中に公表されることは決してありませんでした。
いかに機密に行われているか、おわかりいただけるでしょう。
新元号の予想
「新元号はどうなるのか?」と多くの人の関心が寄せられるなか、ソニー生命保険さんが行った全国アンケートのランキングは次のようになっています。
1位・平和(47人)
2位・和平(19人)
3位・安久(17人)
4位・未来(16人)
5位・自由(11人)
5位・新生(11人)
7位・大成(10人)
8位・羽生(9人)
8位・希望(9人)
10位・安泰(8人)
10位・安寧(8人)
10位・太平(8人)
「新元号予想で挙げられた漢字」調査では、
「和」:165人
「安」:118人
「平」:112人
となっていたそうです。
2018年は、北海道胆振東部地震、大阪府北部地震、島根県西部地震、西日本豪雨、台風21号、24号の直撃、記録的猛暑など、自然災害の脅威を感じた一年だったことから「今年の漢字」が「災」となりました。
その「災」を振り払ってもらいたいという国民の願いが、新しい元号へ託されているようにも感じられますね。
元号に詳しい所功京都産業大名誉教授によりますと
これまでの元号で、一部の漢字が何度も使われる傾向があるといいます。
使用回数が多い漢字上位10字は「永、天、元、治、応、正、文、和、長、安」
この10文字で組み合わせた元号は、これまでに41個あるのだそうです。
そして、論理的にはそのほか、49通りの組み合わせが可能になるとされています。
様々な予想が繰り広げられていますが、果たしてこの中に新しい元号が含まれるのか、あるいは全く違う元号となるのか、国民の注目が集まるところですね。
これまでの元号(年号)一覧
飛鳥時代(西暦645年~715年)
・大化(たいか):645年7月17日~650年3月22日
・白雉(はくち):650年3月22日~654年11月24日
・元号なし:654年11月24日~686年8月14日
・朱鳥(しゅちょう/すちょう/あかみどり):686年8月14日~686年10月1日
・元号なし:686年10月1日~701年5月3日
・大宝(たいほう/だいほう):701年5月3日~704年6月16日
・慶雲(けいうん/きょううん):704年6月16日~708年2月7日
・和銅(わどう):708年2月7日~715年10月3日
奈良時代(715年~806年)
・霊亀(れいき):715年10月3日~717年12月24日
・養老(ようろう):717年12月24日~724年3月3日
・神亀(じんき):724年3月3日~729年9月2日
・天平(てんぴょう):729年9月2日~749年5月4日
・天平感宝(てんぴょうかんぽう):749年5月4日~749年8月19日
・天平勝宝(てんぴょうしょうほう):749年8月19日~757年9月6日
・天平宝字(てんぴょうほうじ):757年9月6日~765年2月1日
・天平神護(てんぴょうじんご):765年2月1日~767年9月13日
・神護景雲(じんごけいうん):767年9月13日~770年10月23日
・宝亀(ほうき):770年10月23日~781年1月30日
・天応(てんおう/てんのう):781年1月30日~782年9月30日
・延暦(えんりゃく):782年9月30日~806年6月8日
平安時代(806年~1185年)
・大同(だいどう):806年6月8日~810年10月20日
・弘仁(こうにん):810年10月20日~824年2月8日
・天長(てんちょう):824年2月8日~834年2月14日
・承和(じょうわ/しょうわ):834年2月14日~848年7月16日
・嘉祥(かしょう/かじょう):848年7月16日~851年6月1日
・仁寿(にんじゅ):851年6月1日~854年12月23日
・斉衡(さいこう):854年12月23日~857年3月20日
・天安(てんあん/てんなん):857年3月20日~859年5月20日
・貞観(じょうがん):859年5月20日~877年6月1日
・元慶(がんぎょう):877年6月1日~885年3月11日
・仁和(にんわ/にんな):885年3月11日~889年5月30日
・寛平(かんぴょう/かんぺい/かんへい):889年5月30日~898年5月20日
・昌泰(しょうたい):898年5月20日~901年8月31日
・延喜(えんぎ):901年8月31日~923年5月29日
・延長(えんちょう):923年5月29日~931年5月16日
・承平(じょうへい/しょうへい):931年5月16日~938年6月22日
・天慶(てんぎょう/てんきょう):938年6月22日~947年5月15日
・天暦(てんりゃく):947年5月15日~957年11月21日
・天徳(てんとく):957年11月21日~961年3月5日
・応和(おうわ):961年3月5日~964年8月19日
・康保(こうほう):964年8月19日~968年9月8日
・安和(あんな/あんわ):968年9月8日~970年5月3日
・天禄(てんろく):970年5月3日~974年1月16日
・天延(てんえん):974年1月16日~976年8月11日
・貞元(じょうげん):976年8月11日~978年12月31日
・天元(てんげん):978年12月31日~983年5月29日
・永観(えいかん):983年5月29日~985年5月19日
・寛和(かんな/かんわ):985年5月19日~987年5月5日
・永延(えいえん):987年5月5日~989年9月10日
・永祚(えいそ):989年9月10日~990年11月26日
・正暦(しょうりゃく):990年11月26日~995年3月25日
・長徳(ちょうとく):995年3月25日~999年2月1日
・長保(かんこう):1004年8月8日~1013年2月8日
・長和(ちょうわ):1013年2月8日~1017年5月21日
・寛仁(かんにん):1017年5月21日~1021年3月17日
・治安(じあん):1021年3月17日~1024年8月19日
・万寿(まんじゅ):1024年8月19日~1028年8月18日
・長元(ちょうげん):1028年8月18日~1037年5月9日
・長暦(ちょうりゃく):1037年5月9日~1040年12月16日
・長久(ちょうきゅう):1040年12月16日~1044年12月16日
・寛徳(かんとく):1044年12月16日~1046年5月22日
・永承(えいしょう/えいじょう):1046年5月22日~1053年2月2日
・天喜(てんき/てんぎ):1053年2月2日~1058年9月19日
・康平(こうへい):1058年9月19日~1065年9月4日
・治暦(じりゃく):1065年9月4日~1069年5月6日
・延久(えんきゅう):1069年5月6日~1074年9月16日
・承保(じょうほう/しょうほう):1074年9月16日~1077年12月5日
・承暦(じょうりゃく/じょうりゃく):1077年12月5日~1081年3月22日
・永保(えいほう):1081年3月22日~1084年3月15日
・応徳(おうとく):1084年3月15日~1087年5月11日
・寛治(かんじ):1087年5月11日~1095年1月23日
・嘉保(かほう):1095年1月23日~1097年1月3日
・永長(えいちょう):1097年1月3日~1097年12月27日
・承徳(じょうとく/しょうとく):1097年12月27日~1099年9月15日
・康和(こうわ):1099年9月15日~1104年3月8日
・長治(ちょうじ):1104年3月8日~1106年5月13日
・嘉承(かしょう/かじょう):1106年5月13日~1108年9月9日
・天仁(てんにん):1108年9月9日~1110年7月31日
・天永(てんえい):1110年7月31日~1113年8月25日
・永久(えいきゅう):1113年8月25日~1118年4月25日
・元永(げんえい):1118年4月25日~1120年5月9日
・保安(ほうあん):1120年5月9日~1124年5月18日
・天治(てんじ):1124年5月18日~1126年2月15日
・大治(だいじ):1126年2月15日~1131年2月28日
・天承(てんしょう/てんじょう):1131年2月28日~1132年9月21日
・長承(ちょうしょう):1132年9月21日~1135年6月10日
・保延(ほうえん):1135年6月10日~1141年8月13日
・永治(えいじ):1141年8月13日~1142年5月25日
・康治(こうじ):1142年5月25日~1144年3月28日
・天養(てんよう):1144年3月28日~1145年8月12日
・久安(きゅうあん):1145年8月12日~1151年2月14日
・仁平(にんぺい/にんぴょう):1151年2月14日~1154年12月4日
・久寿(きゅうじゅ):1154年12月4日~1156年5月18日
・保元(ほうげん):1156年5月18日~1159年5月9日
・平治(へいじ):1159年5月9日~1160年2月18日
・永暦(えいりゃく):1160年2月18日~1161年9月24日
・応保(おうほう/おうほ):1161年9月24日~1163年5月4日
・長寛(ちょうかん):1163年5月4日~1165年7月14日
・永万(えいまん):1165年7月14日~1166年9月23日
・仁安(にんあん):1166年9月23日~1169年5月6日
・嘉応(かおう):1169年5月6日~1171年5月27日
・承安(しょうあん):1171年5月27日~1175年8月16日
・安元(あんげん):1175年8月16日~1177年8月29日
・治承(じしょう):1177年8月29日~1181年8月25日
・養和(ようわ):1181年8月25日~1182年6月29日
・寿永(じゅえい):1182年6月29日~1184年5月27日
・元暦(げんりゃく):1184年5月27日~1185年9月9日
鎌倉時代(1185年~1331年)
・文治(ぶんじ):1185年9月9日~1190年5月16日
・建久(けんきゅう):1190年5月16日~1199年5月23日
・正治(しょうじ):1199年5月23日~1201年3月19日
・建仁(けんにん):1201年3月19日~1204年3月23日
・元久(げんきゅう):1204年3月23日~1206年6月5日
・建永(けんえい):1206年6月5日~1207年11月16日
・承元(じょうげん):1207年11月16日~1211年4月23日
・建暦(けんりゃく):1211年4月23日~1214年1月18日
・建保(けんぽう):1214年1月18日~1219年5月27日
・承久(じょうきゅう):1219年5月27日~1222年5月25日
・貞応(じょうおう):1222年5月25日~1224年12月31日
・元仁(げんにん):1224年12月31日~1225年5月28日
・嘉禄(かろく):1225年5月28日~1228年1月18日
・安貞(あんてい):1228年1月18日~1229年3月31日
・寛喜(かんき):1229年3月31日~1232年4月23日
・貞永(じょうえい):1232年4月23日~1233年5月25日
・天福(てんぷく):1233年5月25日~1234年11月27日
・文暦(ぶんりゃく):1234年11月27日~1235年11月1日
・嘉禎(かてい):1235年11月1日~1238年12月30日
・暦仁(りゃくにん):1238年12月30日~1239年3月13日
・延応(えんおう):1239年3月13日~1240年8月5日
・仁治(にんじ):1240年8月5日~1243年3月18日
・寛元(かんげん):1243年3月18日~1247年4月5日
・宝治(ほうじ):1247年4月5日~1249年5月2日
・建長(けんちょう):1249年5月2日~1256年10月24日
・康元(こうげん):1256年10月24日~1257年3月31日
・正嘉(しょうか):1257年3月31日~1259年4月20日
・正元(しょうげん):1259年4月20日~1260年5月24日
・文応(ぶんおう):1260年5月24日~1261年3月22日
・弘長(こうちょう):1261年3月22日~1264年3月27日
・文永(ぶんえい):1264年3月27日~1275年5月22日
・建治(けんじ):1275年5月22日~1278年3月23日
・弘安(こうあん):1278年3月23日~1288年5月29日
・正応(しょうおう):1288年5月29日~1293年9月6日
・永仁(えいにん):1293年9月6日~1299年5月25日
・正安(しょうあん):1299年5月25日~1302年12月10日
・乾元(けんげん):1302年12月10日~1303年9月16日
・嘉元(かげん):1303年9月16日~1307年1月18日
・徳治(とくじ):1307年1月18日~1308年11月22日
・延慶(えんきょう):1308年11月22日~1311年5月17日
・応長(おうちょう):1311年5月17日~1312年4月27日
・正和(しょうわ):1312年4月27日~1317年3月16日
・文保(ぶんぽう):1317年3月16日~1319年5月18日
・元応(げんおう):1319年5月18日~1321年3月22日
・元亨(げんこう):1321年3月22日~1324年12月25日
・正中(しょうちゅう):1324年12月25日~1326年5月28日
・嘉暦(かりゃく):1326年5月28日~1329年9月22日
・元徳(げんとく):1329年9月22日~1331年9月11日
大覚寺統
・元弘(げんこう):1331年9月11日~1334年3月5日
持明院統
・正慶(しょうきょう/しょうけい):1332年5月23日~1333年7月7日
南北朝時代・室町時代
・建武(けんむ):1334年3月5日~南朝 1336年4月11日 / 北朝 1338年10月11日
南朝(大覚寺統)(1336年~1392年)
・延元(えんげん):1336年4月11日~1340年5月25日
・興国(こうこく):1340年5月25日~1347年1月20日
・正平(しょうへい):1347年1月20日~1370年8月16日
・建徳(けんとく):1370年8月16日~1372年5月
・文中(ぶんちゅう):1372年5月~1375年6月26日
・天授(てんじゅ):1375年6月26日~1381年3月6日
・弘和(こうわ):1381年3月6日~1384年5月18日
・元中(げんちゅう):1384年5月18日~1392年11月19日
北朝(持明院統)(1338年~1394年)
・暦応(りゃくおう/れきおう):1338年10月11日~1342年6月1日
・康永(こうえい):1342年6月1日~1345年11月15日
・貞和(じょうわ/ていわ):1345年11月15日~1350年4月4日
・観応(かんのう/かんおう):1350年4月4日~1352年11月4日
・文和(ぶんな/ぶんわ):1352年11月4日~1356年4月29日
・延文(えんぶん):1356年4月29日~1361年5月4日
・康安(こうあん):1361年5月4日~1362年10月11日
・貞治(じょうじ/ていじ):1362年10月11日~1368年3月7日
・応安(おうあん):1368年3月7日~1375年3月29日
・永和(えいわ):1375年3月29日~1379年4月9日
・康暦(こうりゃく):1379年4月9日~1381年3月20日
・永徳(えいとく):1381年3月20日~1384年3月19日
・至徳(しとく):1384年3月19日~1387年10月5日
・嘉慶(かきょう/かけい):1387年10月5日~1389年3月7日
・康応(こうおう):1389年3月7日~1390年4月12日
・明徳(めいとく):1390年4月12日~1394年8月2日
南北朝合一後(1394年~1467年)
・応永(おうえい):1394年8月2日~1428年6月10日
・正長(しょうちょう):1428年6月10日~1429年10月3日
・永享(えいきょう):1429年10月3日~1441年3月10日
・嘉吉(かきつ):1441年3月10日~1444年2月23日
・文安(ぶんあん):1444年2月23日~1449年8月16日
・宝徳(ほうとく):1449年8月16日~1452年8月10日
・享徳(きょうとく):1452年8月10日~1455年9月6日
・康正(こうしょう):1455年9月6日~1457年10月16日
・長禄(ちょうろく):1457年10月16日~1461年2月1日
・寛正(かんしょう):1461年2月1日~1466年3月14日
・文正(ぶんしょう):1466年3月14日~1467年4月9日
戦国時代(1467年~1573年)
・応仁(おうにん):1467年4月9日~1469年6月8日
・文明(ぶんめい):1469年6月8日~1487年8月9日
・長享(ちょうきょう):1487年8月9日~1489年9月16日
・延徳(えんとく):1489年9月16日~1492年8月12日
・明応(めいおう):1492年8月12日~1501年3月18日
・文亀(ぶんき):1501年3月18日~1504年3月16日
・永正(えいしょう):1504年3月16日~1521年9月23日
・大永(だいえい):1521年9月23日~1528年9月3日
・享禄(きょうろく):1528年9月3日~1532年8月29日
・天文(てんぶん):1532年8月29日~1555年11月7日
・弘治(こうじ):1555年11月7日~1558年3月18日
・永禄(えいろく):1558年3月18日~1570年5月27日
・元亀(げんき):1570年5月27日~1573年8月25日
安土桃山時代(1573年~1615年)
・天正(てんしょう):1573年8月25~1593年1月10
・文禄(ぶんろく):1593年1月10日~1596年12月16日
・慶長(けいちょう):1596年12月16日~1615年9月5日
江戸時代(1615年~1868年)
・元和(げんな):1615年9月5日~1624年4月17日
・寛永(かんえい):1624年4月17日~1645年1月13日
・正保(しょうほう):1645年1月13日~1648年4月7日
・慶安(けいあん):1648年4月7日~1652年10月20日
・承応(じょうおう):1652年10月20日~1655年5月18日
・明暦(めいれき):1655年5月18日~1658年8月21日
・万治(まんじ):1658年8月21日~1661年5月23日
・寛文(かんぶん):1661年5月23日~1673年10月30日
・延宝(えんぽう):1673年10月30日~1681年11月9日
・天和(てんな):1681年11月9日~1684年4月5日
・貞享(じょうきょう):1684年4月5日~1688年10月23日
・元禄(げんろく):1688年10月23日~1704年4月16日
・宝永(ほうえい):1704年4月16日~1711年6月11日
・正徳(しょうとく):1711年6月11日~1716年8月9日
・享保(きょうほう):1716年8月9日~1736年6月7日
・元文(げんぶん):1736年6月7日~1741年4月12日
・寛保(かんぽう):1741年4月12日~1744年4月3日
・延享(えんきょう):1744年4月3日~1748年8月5日
・寛延(かんえん):1748年8月5日~1751年12月14日
・宝暦(ほうれき):1751年12月14日~1764年6月30日
・明和(めいわ):1764年6月30日~1772年12月10日
・安永(あんえい):1772年12月10日~1781年4月25日
・天明(てんめい):1781年4月25日~1789年2月19日
・寛政(かんせい):1789年2月19日~1801年3月19日
・享和(きょうわ):1801年3月19日~1804年3月22日
・文化(ぶんか):1804年3月22日~1818年5月26日
・文政(ぶんせい):1818年5月26日~1831年1月23日
・天保(てんぽう):1831年1月23日~1845年1月9日
・弘化(こうか):1845年1月9日~1848年4月1日
・嘉永(かえい):1848年4月1日~1855年1月15日
・安政(あんせい):1855年1月15日~1860年4月8日
・万延(まんえん):1860年4月8日~1861年3月29日
・文久(ぶんきゅう):1861年3月29日~1864年3月27日
・元治(げんじ):1864年3月27日~1865年5月1日
・慶応(けいおう):1865年5月1日~1868年10月23日
明治時代以降(1868年〜)
・明治(めいじ):1868年1月25日~1912年7月29日
・大正(たいしょう):1912年7月30日~1926年12月24日
・昭和(しょうわ):1926年12月25日~1989年1月7日
これまでの元号(年号)は248種存在し、これに平成が加われば249種となるのです。
歴史の重み、日本国の重みを感じずにはいられません。
やはり、元号(年号)というのは自分が生まれ育った国の歴史を知る、大切なものであることを感じますよね。
中には同じ「読み方」の元号(年号)もあります。
「しょうわ」には、「承和」「正和」「昭和」と三種の漢字が存在しました。
歴代の元号を振り返ってみると、歴史を感じるだけではなく、漢字についての気づきもあったりして、勉強になるものです。
ところで、一つの元号の年数が短すぎることに疑問を感じませんか?
重複している年もありますしね!!
明治以降、「一世一元の制」が定められたので、現在は1人の天皇の間は同じ元号(年号)になっていますが、江戸時代までは、天皇が変わる時はもちろんのこと、吉兆のようなめでたい前触れが起こったときや、その逆で地震や火災などの天変地異や、疫病が起こったときの厄除けのためにも元号を変えていました。
そのため、たった1年で元号が変わっている年もありますね。
最長は、昭和天皇64年のご在位でした。
新元号の発表が刻々と迫っています。
「平成」ではなくなることを寂しいと思う反面、どんな願いが込められた元号(年号)になるのかという期待もあります。
「平成」の元号が発表された時は、小渕恵三内閣官房長官(当時)でしたが、発表を誰が行うかについては特に法律では定められていないようです。
4月1日には、菅(すが)官房長官が発表されるのか、、他の方なのか、、という想像も、楽しみの一つですね。
2019年2月21日 追記
皇太子さまが新天皇に即位される平成31年5月1日の改元に伴い、新元号を刻印した硬貨を7月にも発行する方針を固めていることがわかりました。
需要が高い百円玉と五百円玉を優先して製造作業を進めるということです。
発行までにに3ヶ月半ほどの期間を要するため、7月中旬以降に新元号が刻印された硬貨が日銀に引き渡され、金融機関などを経由して市場に出回るそうです。
新硬貨を目にするのが楽しみすね。٩( ‘ω’ )و
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