2019年2月24日(日)午後2時より、国立劇場にて「天皇陛下御在位30年記念式典」が開催されますね。
象徴天皇としての公務を懸命に全うされてきた天皇陛下の「御在位30年」は、国民である自分たちにとっても、感動と驚きと感謝の30年であったと感じます。
そして、沖縄の方にとっても思い入れのある深い30年ではなかったでしょうか?
自分と同じ気持ちを持っているであろうアーティスト「三浦大知(みうらだいち)」さんが、この式典で天皇陛下の「御心」を歌い上げる 記念演奏(歌唱)されることが明らかとなりました。
Contents
天皇陛下の沖縄訪問について
1975年、天皇・皇后両陛下は皇室として初めて沖縄をご訪問されました。
もちろん、第二次世界大戦後初めての出来事で、その際に起きた「ひめゆりの塔事件」については皆さまもご承知だと存じます。
ひめゆりの塔事件(ひめゆりのとうじけん)とは
1975年7月17日に沖縄県糸満市で発生した、日本の新左翼系過激派による皇太子明仁親王(当時)および同妃美智子に対する2つのゲリラ事件の総称である。 ウィキペディアより引用
天皇・皇后両陛下がどのようなお気持ちで訪れ、どのようなお気持ちで帰京されたのか・・、そのお気持ちの深さを測り知ることはできませんが、陛下は沖縄に深い思い入れを持たれながら30年間、ご在位されてこられたのだと思います。
天皇陛下は皇太子時代から多忙極める中、11度も沖縄にご訪問されていることから陛下の思いが伝わりますよね。
平成のご訪問だけで、
・平成5年4月23日~4月26日:第44回全国植樹祭
・平成7年8月2日:戦後50年にあたり
・平成16年1月23日~1月26日:国立劇場おきなわ開場記念公演
・平成24年11月17日~11月20日:第32回全国豊かな海づくり大会
・平成26年6月26日~6月27日:沖縄県行幸啓(対馬丸犠牲者の慰霊)
・平成30年3月27日~3月29日:国立沖縄戦没者墓苑
7回、ご訪問されています。
平成30年、在位中最後のご訪問(予定)では、沖縄本島の国立沖縄戦没者墓苑(糸満市)で先の大戦の戦没者を慰霊するほか、与那国島(与那国町)にも初めて足を運び、日本最西端の碑などを視察されていらっしゃいます。
初めての沖縄ご訪問の際、天皇・皇后両陛下は沖縄県名護市にある「国立ハンセン病療養所」にも訪れました。
2014年には、46年かけて全国14カ所(国立13、私立1)の療養所の入所者と面会を果たされました。
なぜ???
10年以上も侍従としてお側に使えた渡邉允(わたなべまこと)氏は、次のように語られています。
国民の中で、他の人は背負っていないような苦しみ、悲しみ、辛さを背負っている人こそが、両陛下にとって慰めなければならない人たちなのだと思います。
国民の父母として「苦しみ、悲しみ、辛さを背負っている人」に御心を懸けられるのは、皇室の千年以上にわたる伝統である。
両陛下はそのことを強くご理解されていて、沖縄だけではなく、福祉施設、障害者施設、老人ホーム、保育園、さらには被災地へ数多く足を運ばれ、国民との時間を大切になさっていました。
沖縄愛楽園(おきなわあいらくえん)
16歳でハンセン病を発症したキリスト教伝道師「青木 恵哉(あおき けいさい」氏が設立したハンセン病療養所。
青木氏は、どんな薬を使用しても病状が良くなる傾向がなく・・、そんな時にある男性の信仰の深さに触れ聖書を読み始めたことから、アメリカ人宣教師の洗礼を受けました。
病気、信仰活動、生活に苦しんだ挙句たどり着いたのが「愛楽園」が設立された沖縄名護市だったのです。
療養所の設立においては、数々の迫害も受けたと言います。
幾多の難を乗り越えながら手に入れた安住の地。
1938年(昭和13年)に「沖縄県立国頭(くにがみ)愛楽園」として設立され、
1941年(昭和16年)、国に移管、
そして1972年(昭和47年)、本土復帰する際に「国立療養所沖縄愛楽園」となりました。
ハンセン病は、結核と同じ抗酸菌の仲間の「らい菌」によって引き起こされる感染症ですが、昭和初期から「ハンセン病患者を終身強制隔離して絶滅させよう」という政策が取られていたそうです。
そのために国立療養所が増えていったのですね。(隔離することで拡散を防いだものと考えられられます。)
ハンセン病とは「らい(癩)菌」によって引き起こされる感染症で、症状は主に末梢神経障害と皮膚症状が現れます。
症状が進むと、末梢神経障害に由来する変形や眼症状などの合併症状を生じることもあり、社会的にも法的にも過酷な差別を受けてきました。
現在は治療法が確立し、一般の医療施設で診察治療できるごく普通の疾患なのだそうです。
(現在の日本では、ほとんど発症することがないそうです。)
余談になりますが、自分は国立療養所で移動スーパーのアルバイトをさせていただいた経験があります。
ハンセン病療養所には、過去の偏見差別等から社会に復帰できない方も多いのだという・・・。
ほとんどの方がご高齢になっておられましたが、所内ではみなさん明るく、元気で、自分たちとなんら変わりなく生活されておりました。
「天皇陛下御在位30年記念式典」で演奏される「歌声の響」
天皇・皇后両陛下が「沖縄愛楽園(おきなわあいらくえん)」にて一人一人と交流をされた帰り際、入所者による大合唱が起きました。(予定されていたわけではなく、自然に起こったそうです。)
長い間、入所生活を過ごしてきた方の気持ちが愛に満たされ救われたのだと想像できます。
その時に歌われたのが沖縄民謡「だんじょかれよし」
「だんじょかれよし」は船出を祝う曲で、陛下は静かにじーっと聞き入られていたそうです。
その後、天皇陛下は、この光景を琉歌に詠まれたのです。
だんじよかれよしの 歌声の響 見送る笑顔 目にど残る
(訳)
私たちの旅の安全を願うだんじよかれよしの 歌声がひびき、見送ってくれた人々の笑顔が、いつまでの目に残っています。
だんじょかれよしの 歌や湧上がたん ゆうな咲きゆる島 肝に残て
(訳)
私たちが立ち去ろうとすると だんじよかれよしの歌声が湧き上がりました。ゆうなの花が、美しく咲いている島の人々のことがいつまでも心に残っています。
この琉歌はすぐに愛楽園に贈られました。入所者はどんなに感動されたことでしょう!!
その後、素晴らしいことに美智子皇太后が、琉球音楽風にメロディー、ハーモニー、リズムを加え「歌声の響(ウタグイヌ フィビチ)」が誕生しました。
こちらが「歌声の響(ウタグイヌ フィビチ)」
御作詞:天皇陛下
御作曲:皇后陛下
「歌声の響」は両陛下が初めて作詞作曲された作品で、2015年にソプラノ歌手「鮫島有美子(さめじまゆみこ)」さんの歌唱で音源化されています。
天皇・皇后両陛下にとって最も思い出の深い曲であろう「歌声の響(ウタグイヌ フィビチ)」を、「天皇陛下御在位30年記念式典」にて、沖縄県出身とされる三浦大知(みうらだいち)さんが歌唱されます。
選んでいただいた事、両陛下の想いから生まれたとても大切な一曲を歌わせていただける事、本当に光栄です。
天皇陛下御在位三十年のお祝いの心と感謝をもって、この楽曲に込められた素晴らしさやメッセージが聴いてくださった皆様に届くよう全身全霊で歌わせていただきます。
と三浦さんがコメントされています。
2月24日(日)「天皇陛下御在位三十年記念式典」に関してのお知らせをオフィシャルサイトに掲載致しました。
URL > https://t.co/J3t4N9clO4
三浦大知のコメントも掲載しておりますので、是非ご覧下さい。
— 三浦大知【公式アカウント】 (@DAICHIMIURAinfo) 2019年1月17日
三浦大知(みうらだいち)さんについて
三浦大知(みうらだいち)さんは、日本を代表するダンサーであり、歌手であり、楽曲は全てオリジナル、またライブの振り付け、演出も自身で行う、エンターテイナーです。
今回、三浦さんに「歌声の響(ウタグイヌ フィビチ)」歌唱で白羽の矢が立ったのは、彼が単なる沖縄出身というだけではない気がするのは自分だけでしょうか?
三浦大知(みうらだいち)プロフィール
誕生日:1987年8月24日
出身地:鹿児島県沖永良部島(おきのえらぶじま)
活動期間:1997年~
所属:ライジングプロダクション
SPEED、MAX、国仲涼子さん、知念里奈さんなど多くの沖縄県出身タレントや荻野目洋子さんも所属しています。)
沖永良部(おきのえらぶじま)出身
三浦さん、実は沖縄県出身ではなく「沖永良部島(おきのえらぶじま)」のご出身なのです。
沖永良部島は鹿児島県になります。
ただ、沖永良部島は沖縄北部まで約60km、鹿児島南まで約552kmの位置にあるので、沖縄の方が近いと言えます。
なぜ、沖縄出身だと言われているのでしょうか?
安室奈美恵さんやDA PUMP、MAXなどを輩出されている「沖縄アクターズスクール」に通われていたからでしょう。
2017年に放送されら「A-Studio」では、ご自身で「両親は鹿児島県沖永良部島出身」だとお話しされていました。
でも、ずっと沖永良部島にいたわけではなく、自衛官だった父親の転勤で沖縄県内、広島、神奈川など移動も多かったようです。
一時期「三浦大知は、三浦友和さんと百恵さんの子供?」などという噂も聞かれましたが、違います。
自衛官だった父親は体育会系だったことが想像できますよね。
母親は・・というと、おそらく家庭で三浦さんにたっぷりの愛情を注いでくれた優しい方だったのではないかと感じます。
アニメ、戦隊モノ、仮面ライダーの主題歌や動きに合わせて踊っているお母さんが、当時6歳の三浦さんを「ダンススクール」に通わせてくれたそうですから・・。
自宅から90分かけてバスで通っていたと言いますから、愛情なしにはできない行動です。
(この頃は沖縄に住んでいたんでしょうね。)
また余談ですが、同じ「沖縄アクターズスクール」に通われた安室奈美恵(あむろなみえ)さんは、片道1時間半の道のりを徒歩で通っていたそうですから、熱意があるとは言え、沖縄の方は頑張り屋さんが多いのでしょうね。
影響されたのはマイケル・ジャクソン
踊りが好きだった三浦さんは、ダンススクールが楽しくて仕方なかったと言います。
その頃から「歌」も練習していたようですが、強く深く影響されたのは、やはり「マイケル・ジャクソン」
初めて購入したアルバム「ヒストリー」は、今でも大切にされているそうです。
個人的には、三浦さんの中に「マイケル・ジャクソン」が宿っているのではないかと感じています。
ソウル(魂)を引き出すようなダンスと歌、サウンドやリズムが体の中で生きています。
決して作られたものではなく、三浦さんが感じるまま、感じたままの全てが表現されています。
これは「マイケル・ジャクソン」の魂(ソウル)そのものではないかと・・。
9歳でデビュー
そんな三浦大知としてのスタイルが認められたのですね。
1997年には「Folder」のボーカルとして芸能活動を開始されています。
わずか9歳という年齢で「DAICHI」として様々な歌を歌い(本人がすごく楽しそうでした。)、
当時人気番組だった「ポンキッキーズ」にもレギュラー出演されていらっしゃいました。
Folderとは。
沖縄アクターズスクール出身の小中学生7名、
DAICHI(三浦大知さん)
AKINA(宮里明那さん)
ARISA(仲間愛里紗さん)
HIKARI(満島ひかりさん)
NATSU(阿嘉奈津さん)
MOE(石原萌さん)
JOE(仲間丈さん )
で構成され、1997年~2000年にかけて活動していました。
そう、今や大女優の満島ひかりさんとは幼馴染のような存在なんですね。
しかし男性ですから、高音がよく響く三浦さんにも声変わりの時期がやってきました。
そのため、2000年から1年ほど活動を休止されています。
しかしその間も、声を出せない分(ボイストレーニングは抑え気味に)、ニューヨークでダンスのレベルアップのために勉強したり、ピアノやギターなどを独学で勉強したり、音楽を全般的に学んでいたようです。
自己研鑽に余念のない三浦さんだからこそ、現在のエンターテーメントを作り出せているのでしょうね。
活動休止後にソロデビュー
声変わりと自己研鑽のための活動休止期間を経て、2005年に「三浦大知」として、ソロシングル「Keep It Goin’ On」が発売されました。
5年間の月日が、かわいいDAICHIを大人の男性アーティスト「三浦大知」へと成長させました。
その貴重な時間は「ソロでR&Bを歌って踊るスタイルを確立させたい」という思いへ三浦さんを変えたのです。
安室奈美恵さんも、小室さんのプロデュースを離れた時に同じようなことをおっしゃっていました。
ビート・リズムに乗りながらブルース感のある歌を迫力満載に歌R&Bをソロでやりきるには、魂を音楽にのせるセンスとテクニックが必要で、自分の魂(ソウル)を素直に出しきるために、全てがオリジナルなのだと感じます。
三浦大知さんだからできることなのでしょうね。
プライベートでは
プライベートでは、2015年1月1日に、一般女性との結婚が発表されました。
お相手については詳細わかりませんが、きっと素敵な女性なのでしょうね。
音楽には、アーティストの精神状態がありのまま映し出されます。
初めて「歌声の響」を作曲なさった美智子皇后は、満たされた思いをお持ちになられたのだと感じます。
そして、今回「歌声の響」を歌われる三浦さんも、プライベートの充実なしではあのように素晴らしい音楽は表現できません。
そう考えると、奥様は素敵な女性で、幸せな家庭を築いていらっしゃると想像できますよね。
現在は、男の子一人のパパにもなられています。
画像元
御報告させていただきます
この度、第一子が産まれました
元気な男の子です
妻と子、両親、友人、そして応援してくださっている皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです
歌い手として 人間として
まだまだ成長していかねばと身の引き締まる思いです
音楽でしっかり恩返しが出来るよう精進していきます
写真とともに添えられたメッセージからも、三浦さんの人としての生き方が垣間見えますね。
とても幸せな息子さんですね。
かっこいいパパの姿を見て、息子さんもまた日本を代表するアーティストになるのでしょうか?
【歌声の響】の歌唱になぜ選ばれたのか?
三浦さんは、ただ単にダンスが上手い、歌が上手い、R&Bが素晴らしいだけではないのです。
逆に、人間的な魅力があるからこそ「R&B」を歌い、踊ることができるんですよね。
沖縄で育った、沖縄に所縁のある人物であることは確かです。
歌唱力、ダンスともに実力があるのも確かです。
振り付けや演出が自在なことも確かです。
しかし「三浦大知」という人間そのものが「歌声の響(ウタグイヌ フィビチ)」を歌うにふさわしいと判断されたのではないでしょうか?
天皇・皇后両陛下の「心」を感じ、その心をサウンド、ビート&リズムで表現できるのが「三浦大知」という一人のアーティストだったのではないでしょうか?
天皇陛下御在位三十年記念式典次第
天皇皇后両陛下御臨席
開式の辞
国歌斉唱
内閣総理大臣式辞
祝辞(衆議院議長・参議院議長・最高裁判所長官・在本邦外交団団長)
国民代表の辞
御製及び御歌朗読
記念演奏
天皇陛下のおことば
万歳三唱閉式の辞
天皇皇后両陛下御退席
2月24日(日)、国立劇場に響く「歌声の響(ウタグイヌ フィビチ)」が天皇・皇后両陛下のお気持ちとして自分たちにも届くことを楽しみに待ちたいと思います。
→【天皇陛下御在位三十年】記念式典詳細については、こちらをご覧ください。
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【歌声の響】天皇陛下の「御心」を三浦大知さんが歌う~琉歌や作曲、三浦さんが選ばれた理由についてを最後までお読みいただき、ありがとうございました。