立憲民主党衆議院議員・枝野幸男(えだのゆきお)氏の妻である枝野和子(えだのかずこ)さん。
政治家の妻という重い役を背負いながらも、天真爛漫なキャラで自身の人生を明るく語る女性です。
枝野和子さんとは、一体どのような女性なのでしょうか?
高校や大学は?
枝野氏とはどのように知り合ったの?
子供を授かったのはいつ? どのように生まれたの?
気になることをまとめてみました!!
Contents
枝野和子(えだの かずこ)さん
生まれ:1968年
出身:東京都(さいたま市で育つ)
女子聖学院高等学校卒業
1905年、37才の女性宣教師「バーサ・F・クローソン」が、10名の生徒で開校されました。
生徒募集を行わない完全中高一貫校として知られています。
成蹊大学卒業
創立者「中村春二氏」の情熱が生んだ私塾「成蹊園」が母体となり、成蹊実務学校、旧制成蹊高等学校を経て、現在の形になりました。
成蹊大学は、現内閣総理大臣「安倍晋三氏」の母校でもありますね。
その後、日本航空(JAL)客室乗務員として勤務されていました。
CAという仕事は、体力、責任、判断、勤勉、柔軟性などあらゆるものが求められる職種です。
そこで培われた総合的なことは、全て枝野幸男氏(政治家)の妻となるべきためだったのかも知れませんね。
さすが、気配りのよくできる女性のようです。
民主党政権で、枝野氏が官房長官だったころ、和子夫人は番記者を自宅に招いてお茶を出すなどして、労っていたというエピソードがあります。
枝野幸男氏と結婚
1999年、枝野幸男氏とはお見合い結婚をされました。
CAをされていた、大変気配りのできる和子夫人とはいえ、結婚と同時に何もかもが一変しました。
その際、和子夫人が考えられたことは、
まずは地元選挙区内での挨拶回り。
そして何よりも選挙に慣れること。
結婚して3年ぐらいは、代議士の妻としての仕事を覚えることを最優先しよう!!
だったそうです。
子供が欲しい
結婚して政治家の妻としての流れを掴むまでは、ただただ必死に過ごされた和子夫人。
選挙を経験し、政治家の妻として一通りの仕事を終えた頃「子供が欲しい」と考えるようになりました。
結婚をして「子供が欲しい」と願うことは当然の感情だと思います。
しかし、こればかりは願うだけではどうにもなりません。
子は授かりもの、、なかなかそのプレゼントを授かることができなかったのです。
不妊治療を決意
そこで、枝野夫妻は不妊治療を決意しました。
これは、女性だけが願っても叶う治療ではありませんので枝野氏も決死の覚悟だったのだと想像します。
人工授精を行うも上手くいかず、、、半年後には体外受精を。
しかし、それでも受精卵が定着できずに流れてしまう習慣性流産が2年間ほど続きました。
妊娠22週未満で3回以上流産を繰り返すことを「習慣性流産」といいます。
流産には避けられない流産もあり、初期流産の原因の60〜70%は胎児の染色体異常によるものとされています。 |
枝野夫妻は6度の流産・・・。
不妊治療は、心身ともに辛く、痛みを伴うものです。
お二人の苦悩は、経験された方にのみ理解できるものでしょう。
枝野夫妻、壮絶な不妊治療は1400日。
約3年間に、10回の体外受精を行い、和子夫人36歳でようやく、ようやく妊娠されました。
夫妻の心はどんなに晴れやかな喜びだったことでしょう。
スポンサーリンク
二人三脚の子育て
子育てとは、母の体内に赤ちゃんが宿った時から始まっています。
決死の思いで授かった赤ちゃん、どうにかして無事に生まれてきて欲しい・・!!
枝野夫妻は、二人三脚での子育てを始めました。
普段は何もしない枝野氏が、妊娠後はゴミを出し、洗濯物を干し、畳む作業をされたといいます。
枝野は田舎の長男で大切に育てられたので、お魚の骨も取ってもらって食べていたぐらい、家では何もしない人なんです。
料理は何一つ作れないし、おそらくコーヒーも入れられない(笑)。
そんな枝野が妊娠後、土日に地方の仕事を入れていたのを減らしてサポートしてくれました。
のちに、和子夫人が語られています。
出産の際は、破水をしてしまい救急車で運ばれ、病院に枝野氏も駆けつけてくれたそうですが、直後には海外出張だったということで、産後の喜びや実感を味わう間もなかったのではないでしょうか?
実に大変な思いをして、治療を受けて、やっとやっと生まれてきてくれた赤ちゃんは双子の男の子!!
夫妻にとっては、何よりも大切なかけがえのない命であっただろうと考えます。
枝野氏はご自身の経験から「不妊治療の無償化」を政治家として主張されていらっしゃいます。
政治家として、親として、人間として、とても貴重なご経験をされたのではないでしょうか?
双子の息子
念願のベイビーは、2006年に誕生されました!!
今年で14歳になられるのですね。
中学生といえば、一番多感な時期を迎えられているのではないか?と想像できます。
長男さんは、軽度の難聴を患い補聴器が手放せないそうですが、元気に学校に通っていらっしゃいます。
ゲームのプログラマーになりたいそうですので、ゲームにハマっているのでしょうか?
一方、次男さんは大の読書好き!!
少しでも速く、たくさんの本が読みたいと速読教室に通うほどの読書かなのだとか?!
双子のそれぞれの個性がはっきりと現れているのは、家庭が安定しているからなのでしょうね。
双子の息子さんへ和子夫人が思っていること。
息子を国会議員にさせたいとは思っていません。
将来、もしどうしても政治家になりたいと思ったら、まずは自分で仕事をして稼いで選挙資金をためることが先。
親の地盤を継いで、ちやほやされてというのは私も枝野も許さないというか。
どこか空いている地盤を自分で探して目指すならいい。
和子夫人は、実に天真爛漫で天然キャラ。
ファーストレディへの思いよりも、子どもをちゃんと育てて、自立した人間にすることのほうが今のご自分には大切なことなのだそうです。
あんなに大変な思いをして生まれてきた我が子ですから、子供さんへの想いが優先するのは当然ですし、枝野氏にもその思いや願いが強くあると想像できます。
政治家と政治家の妻でありながら、実にほのぼのするご夫婦です。
枝野家のひみつ 福耳夫人の20年
枝野家のひみつ 福耳夫人の20年
立憲民主党代表、枝野幸男氏とお見合い結婚20年を節目にしたためた枝野和子さんの、代議士妻リアルライフエッセイ。
「福耳」とは、枝野幸男さんの愛称です。
和子夫人は、聡明さとともに、現代的で好奇心いっぱい、新しいタイプの代議士夫人。
枝野氏との出会いと結婚、何もかもが初めてづくしの選挙活動のお手伝い、
出会いとせつない別れが日常である、議員宿舎ならではの「出来事」、
選挙のカンと読みについて、
夫でありパパである枝野氏の剛柔とりまぜたエピソード
可愛い双子を授かるまでのチャレンジ、
次男の「選挙応援」など、
ふだんなかなか聞けない議員の家族の生活を書き下ろされています。
東日本大震災の後の思わぬ「噂」の真実や、
枝野氏がたった一人で新党を立ち上げた「あの日」についても詳述。
この一冊を読むと、枝野ご夫婦の様子がさらに詳しくわかります。
ご興味のある方はぜひ、お読みください。
口コミまとめ
*真面目なお話としては、不妊治療や、地震の後のデマでの御苦労など経験されていて、それに、旦那さまが1人で新党立ち上げた時のお話は、感動的です。
でも、根底に流れるのは、そこはかとないコミカルさ!
それがきっとこの方の持ち味であり、旦那さまも心地よいのかも。
*野党第一党の党首の妻とはどのようなものか、都関心を持っていたが、家庭のこと、子育てのこと、政治家としての妻のこと等、親近感あふれた内容で書かれている。
身近に感じ、興味深く一気に読めた。
*政治活動に関していえば、やはり政治家の妻は何かと気を遣うし、大変。多忙の合間を縫っての不妊治療はきつかっただろうな。
本書は1時間ちょっとでサクッと読めるが、それなりに面白かった。
*特に文章がお上手というわけではありませんが特殊な環境の中にあっても当たり前の感覚を失わず喜びも悲しみも前向きに生きる糧にするような賢い方だという印象を受けました。
実名匿名で議員の話も出てきます。
立憲民主党衆議院議員・枝野幸男氏の奥様「枝野和子」さんについてご紹介させていただきました。
・出産【弛緩出血(しかんしゅっけつ)】の原因や症状とは?〜体験した私がママたちに伝えたいこと
・二人目の出産でも【弛緩出血(しかんしゅっけつ)】のリスクはあるのか?〜病院(産婦人科)選びは慎重に!!
スポンサーリンク
枝野和子さんの経歴は?子供を授かったのはいつ?~不妊治療もサクッと語る一冊を最後までお読みいただき、ありがとうございました。