生活

【津田梅子】津田塾大学の創始者が新五千円札に〜女子教育の願いが現代に・・。


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津田塾大学(つだじゅくだいがく)といえば、私立女子大学の最高峰といっても過言ではありませんよね。

津田塾(つだじゅく)を目指して、勉強真っ只中の女性も多いでしょう。

津田塾大学は、津田梅子(つだうめこ)が設立した女子英学塾を前身とする名門女子大学です。

この有名女子大学を築いた「津田梅子(つだうめこ)」とは、どのような女性だったのでしょうか?

 

新紙幣の発表

衝撃のニュースが報道されましたね。

2024年度には、日本の紙幣が新しくなると、麻生太郎財務相が発表されました。

千円札は北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)

5千円札は津田梅子(つだうめこ)

1万円札は渋沢栄一(しぶさわえいいち)

がお目見えすることになります。

日本の偉人たちが、良い経済効果をもたらしてくれるといいですね。




津田梅子(つだうめこ)

18641231日~1929816日(64歳没)

墓地:東京都小平市(津田塾大学構内)

栄誉:勲六等宝冠章(1915年)/  勲五等瑞宝章(1928年)

梅子は、佐倉藩士の父「津田仙」と初子夫妻の次女として、現在の東京都新宿区南町に生まれました。

父の津田仙(つだせん)は、日本の農学者、キリスト者であり、青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わった人物です。

母の初子は、20歳のとき「仙」と結婚し、五男七女を授かりましたが、幼くして亡くなった子も多いのです。

幕末を生きた女性ですから、悲しい思いもたくさんされたでしょうね。

仙は幕府崩壊で職を失いましたが、1869年にはホテル館で勤め始め、その後家族で(東京都墨田区)向島に移りました。

仙は農作業も手がけ、幼い梅子は父の農園を手伝っていたそうです。

 

6歳でアメリカへ

1971年、仙は、北海道開拓使を通して「黒田清隆(くろだ きよたか)」と出会います。

日本の第2代内閣総理大臣ですね。

黒田清隆は、当時女子教育にとても関心を抱いていたといいます。

そして仙は、黒田が企画した女子留学生に当時満6歳だった「梅子」を応募させたのです。

ここが「津田塾大学」の原点であったと言えるでしょう。

しかし、満6歳の女の子を留学させるとはすごいことですよね。

黒田清隆はもとより、父である仙はどのような期待を持っていたのでしょうか?

このような経緯で、梅子は岩倉使節団(いわくらしせつだん)に随行してアメリカに渡ることとなりました。

もちろん、梅子が最年少でした。

 

アメリカでの生活

アメリカでは、日本弁務館書記で画家でもあったチャールズ・ランマン 夫妻の家に預けられ、英語やピアノを学び、同時に市内の「コレジエト・インスティチュート」へも通いました。

幼かった梅子は、いろいろなことをスポンジのように吸収していきました。

そのうち、日本へ宛てる手紙も英文で書くようになったそうですよ。

すっかり、アメリカの生活に慣れ親しんだ梅子は、キリスト教への信仰も芽生えました。

が、決してランマン夫妻には信仰を薦められたわけではありません。

1873年、梅子は特定の宗派に属さないフィラデルフィアの独立教会で洗礼を受けました。

1878年には、コレジエト・インスティチュートを卒業。




その後は私立の女学校である「アーチャー・インスティチュート」へ進学し、ラテン語、フランス語などの語学や英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学びました。

梅子は生まれながらに「学ぶこと」が好きだったのでしょうね。

また、ランマン夫妻は休暇の際に、梅子を連れて各地を旅行したといいます。

1881年には「帰国命令」が出されていますが、まだ在学中だった梅子と山川捨松(やまかわ すてまつ)は、延長を申請し、翌1882年、日本に帰国しました。

梅子と同時期に留学した山川捨松(やまかわ すてまつ)、永井繁子(ながいしげこ)とは、生涯を通して親しく付き合ったそうです。

現に、梅子が「女子英学塾」を設立する際には2人が協力しています。

 

山川捨松(やまかわ すてまつ)

日本の華族でもあり、教育者でもあります。

後に大山巌と結婚し「大山捨松」となりました。

留学時、捨松のホストファミリーだった「アリス・ベーコン」とも親しくしていました。

 

永井繁子(ながいしげこ)

日本の教育者です。

瓜生外吉と結婚し「瓜生 繁子」となりました。

 

帰国した梅子

幼い頃にアメリカへ渡り、幼少期、思春期を過ごした梅子は、日本語が苦手となってしまいました。

さらに、儒学の価値観が色濃く残る日本で、梅子は窮屈な生活を送りました。

留学で身につけた外国の学問や生活文化を活かせる場がなかったんですね。

そんな中、親しくしていた山川捨松と永井繁子は結婚してしまいます。

梅子にも縁談話はあったようですが、日本での結婚スタイルを受け入れることができず、生涯独身を心に誓ったのでした。

仙、初子夫婦の次女として生まれたのが、梅子(うめこ)でした。

 

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運命の出会い

1883年、外務卿の井上馨(いのうえ かおる)から、夜会へ招待されます。

そこで、伊藤博文の紹介で、運命の出会いを果たすことになったのです。

華族子女を対象にした教育を行う私塾「桃夭女塾」を開設していた下田歌子(しもだ うたこ)を紹介されました。

下田 歌子(しもだ うたこ)

知る人ぞ知る。

歌子こそ、女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎を築いた人物です。

明治から大正にかけて活躍しました。

「桃夭女塾」を開設してまもない時期で、歌子は教育者を探していました。

長い留学経験を持つ梅子の存在を知ったのですから、このチャンスを活かさない手はありませんよね。

梅子は、伊東への英語指導や通訳となり伊東家に滞在、さらに歌子から日本語を学び、英語教師として「桃夭女塾」へ通うことになったのです。

1885年には、伊東の推薦で学習院女学部から独立して設立された「華族女学校」で英語教師として教えることにもなりました。

梅子の人生は至って平和に感じますが、本人にとってはそうではなかったようです。

華族が通う学校は、梅子のライフスタイルにはそぐわなかったのです。

まだまだ、華族と一般庶民の間には分厚い壁が残っていたのでしょうね。

 

梅子 二度目の留学

1888年、留学時代親しくしていた友人アリス・ベーコンが来日しました。

梅子は、彼女の勧めで二度目の留学を決意します。

父「仙」の知人である、日本の商業教育に携わっていたウィリアム・コグスウェル・ホイットニーの娘「クララ」の仲介で、学費免除の承諾を得て、再びアメリカへ2年間、留学することになりました。

二度目の留学では、フィラデルフィア郊外にあるリベラル・アーツ・カレッジ、ブリンマー・カレッジ (英語版) で生物学を専攻しますが、3年間で課程を切り上げて終了、日本に戻ることを決意します。

(大学からは研究を続けることを勧められたそうです。)

 

教育者としての道を極める

1882年に帰国した梅子は、再び華族女学校に勤め、自宅で女学生を預かるなど積極的な女子教育への援助を始めます。

1894年、明治女学院

1898年、女子高等師範学校教授を兼任

梅子がたゆまぬ努力を続ける中、女子教育への機運は高まっていきました。

1990年、。父の仙やアリス・ベーコン、大山、瓜生、桜井彦一郎らの多大なる助けを得て、「女子英学塾」(現、津田塾大学)の設立願を東京府知事に提出したのです。

認可を受けると東京麹町区に開校、もちろん塾長となり、身分区別のない女子教育を目指して、一般女子の教育を始めました。

これまでにない、進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となりました。

(新しいことにはつきものですが、厳しすぎるとの評価もあったようです。)

梅子は、無償で授業を行っていましたが、学生や教師の増加に伴い、経済的に厳しくなりました。(当然ですよね。)

1903年に、専門学校令が公布されたため、これに申請して塾を社団法人としました。

 

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晩年の梅子

梅子は塾の創業期に健康を損なっていました。

そこで、経営が落ち着くと塾長を辞退することに・・、後進に自分の夢、希望を託したのです。

その後、梅子は鎌倉の別荘で病気療養しながら暮らしましたが、1929年に脳出血のため「64歳」でこの世を去りました。

女子英学塾は津田英学塾と改名されましたが、校舎は後に戦災で失われてしまいます。

津田塾大学として正式に落成・開校したのは1948年のことでした。

 

津田塾大学(つだじゅくだいがく)

所在地:東京都小平市津田町2-1-1

学部:学芸学部 / 総合政策学部

研究家:文学研究科 / 国際関係学研究科 / 理学研究科

津田塾のまなび

「男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成」を目指し、津田塾大学の前身となる女子英学塾を創立した津田梅子。

梅子のこの想いは長い歴史の中で脈々と受け継がれ、時代を支える「新しい女性たち」の輩出へとつながりました。

そして今、津田塾大学が2030年に向けて目指すのは「変革を担う、女性の育成」。

現代という厳しい時代を見極めながら、時代の要請に応え、新たな道を開拓していく女性を育成していきます。

 

梅子の想い、願いが込められた女子教育は現在の学生さんに受け継がれているのでしょうか?

実際に津田塾大学に通われている学生さんからのクチコミ情報を集めてみました。

勉強することが好きな人、まじめにコツコツ取り組める人はとても良いと思います

都心へのアクセスが悪い。
でも、静かで何もないからこそ、集中できます。

英語で有名だっただけあって図書館には、他大学に引けを取らないくらい英新聞や英語文学の書籍が充実してい
す。

コツコツと勉強ができる学生に向いてる大学だと思います。
国際関係学科担当の教員は専門的で高度な知識を持つ教員が多く、毎回得ることが多いです。

生徒も先生も真面目で、勉学に大変励みやすい環境。逆に遊びたい人には向いていないとおもいます。
少しでもサボれば単位落とします

「勉強したい」という気持ちを強く持っている女性にとって、津田塾大学は勉強しやすい環境があるのだということがわかりますね。

女子英学塾(津田塾大学)の創始者であり、日本、女子教育の先駆者と評される津田梅子(つだうめこ)

自分の生涯、そして現在の女子教育をどのように感じ、見ているのでしょうか?

 

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【津田梅子】津田塾大学の創始者が新五千円札に~女子教育の願いが現代に・・。を最後までお読みいただき、ありがとうござました。

 

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