ワールドカップ(W杯)ロシア大会ではコーチとして大活躍された森保一(もりやすはじめ)さんに、「日本代表の次期監督候補」と希望いっぱいの明るいニュースが飛び込んできましたね。
森保コーチは、20年東京五輪(オリンピック)代表も決まっており、A代表との兼任監督として就任を要請することになるとのこと。
兼任が決まれば、2000年シドニーオリンピック(五輪)と2002年W杯日韓大会で結果を残したトルシエ元監督以来のこととなるため、その決定が大変注目されています。
嬉しい、ワクワクするニュースは気持ちを高揚させてくれますね。
森保氏は、2012年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督退任後、サンフレッチェ広島の監督に就任されましたが、サンフレッチェ広島をJ1優勝へ導き、翌年も優勝する連覇を達成した名監督です。
日本人監督として、サッカー協会が大変注目をしている監督なのです。
今回のロシア大会では、西野朗(にしの あきら)監督の下でコーチを務めましたが、協会が森保さんに経験を積ませるためではなかったのか?という意見もあるようです。
兼任監督を任せられるかも知れないという点においては、サッカー協会から高い信頼を受けている証しでもあるのです。
西野ジャパン誕生の際には、すでに次期監督も視野に入っていたのかも知れませんね。
森保一(もりやすはじめ)さんとは、どのようなアスリートなのでしょう?
参照元:次期日本代表監督”森保一の若き日の無名がもたらした「恥」歴史!
森保一(もりやすはじめ)氏の生い立ち
生年月日:1968年8月23日
出身地:長崎県長崎市
身長 / 体重:174cm/ 68kg
在籍チーム:U-23サッカー日本代表(監督)
生まれたのは静岡県掛川市、それから転々として小学校1年生から長崎市に定住されました。
森保氏のお父様は造船関係のお仕事をされていたため、幼い頃は転居が多く、あちこちへと移動を余儀なくされていたようです。
長崎と言えば今「潜伏キリシタン関連遺産」の話題で持ちきりですよね。
天草を含め、12の関連遺産は、聖なる心が宿る圧巻の建造物や風景ばかりです。
歴史ある長崎の地で、森保少年はどのように成長されたのでしょうか?
関連記事:世界遺産に登録勧告された12の資産知ってる?~長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産ダイジェスト
深堀という地は長崎の南西部、長崎港の南端部になりますが、古くから造船業が盛んでした。
造船関係の仕事をされていたというお父様に合わせ、深堀に定住されたのでしょうね。
森保氏がサッカーを始めたのは小学校5年生の時、そう早い時期ではありませんでした。
小学6年の土井首SSS時代に全日本少年サッカー大会に「GK・ゴールキーパー」として出場してされています。
森保氏は、中学校を卒業する際にサッカーの名門だった「長崎県立国見高等学校」への進学を希望したのですが、真面目に受験に取り組まない姿勢に父から反対を受け「長崎日本大学高等学校」へ進学しました。
名監督にもこのような過去があるのですね。とても親近感が湧きます。٩( ‘ω’ )و
もちろん、長崎日本大学高等学校時代にはサッカーも頑張っていて、MFとして山梨国体選抜に選ばれましたが、全国高等学校サッカー選手権大会の全国大会には出場することができませんでした。
森保氏にとって、高校時代は思うように飛躍することができなかったと言えるのではないでしょうか?
森保氏 マツダ入団
1987年、高校を卒業した森保氏はマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団しました。
幸運なことに高校の監督マツダの今西和男総監督が知り合いだったんですね。
森保氏は実力を持ちながら、さらには「運」にも強い男性だったのでしょう。
入団してすぐは、マツダ本社には入れずマツダ運輸で勤務しながらクラブでプレーしていましたが、
この年からマツダ監督に就任したハンス・オフト氏の目にとまり、その後のビル・フォルケスコーチに育てられ、1989年、3年目にJSL2部デビューを果たしたのです。
そして1991年には、マツダとプロ契約を結び、JSL1部昇格に貢献しました。
ハンス・オフト氏:かの有名なドーハの悲劇時の日本代表監督だった方です。
ビル・フォルケス氏:イングランドのサッカー選手であり、サッカー指導者でもあります。
1992年、ハンス・オフト氏が日本代表監督に就任すると、ついに、森保氏が日本代表に初招集されました。
日本代表に選ばれた選手の中には、森保氏の存在を知らなかった選手もいたといいます。
無名選手の抜擢に、多くのサッカー選手が勇気と希望を抱いたに違いありません!!
オフトジャパンには「いいボランチがいる」と評価されたことから、森保氏が脚光をあびる事となりましたが、翌年1993年、W杯アメリカ大会アジア予選でドーハの悲劇を経験することになります。
ボランチとは
サッカーで、中盤に位置し比較的自由に動いて、相手の攻撃を早期に潰し、味方の攻撃の起点となる働きをする選手のことをいいます。
Weblio 辞書
サンフレッチェ広島から京都パープルサンガへ
その後も、サンフレッチェ広島の選手としてプレーを続けましたが、1995年に右足首関節脱臼骨折してしまい満足に活躍できなくなり、日本代表から遠ざかってしまいました。
1997年には、現役を続行していましたが、サンフレッチェ広島の経営状況が悪化したことから京都パープルサンガにレンタル移籍します。
レンタル移籍とは
現在所属しているクラブとの契約を保持したまま、期間を定めて他のクラブへ移籍する制度のことで、サッカーやプロスポーツにはあることです。期限付きの遺跡ということで、リース移籍と言われることもあります。
そのまま完全移籍になると思われましたが、広島サポーターの強い要望により、1999年にサンフレッチェ広島に戻ってきます。
ファンからとても信頼される選手であったことがわかりますね。
森保氏のレンタル移籍を継続させるために、サポーターが署名運動まで行ったそうですよ。
しかし、2004年1月に現役を引退されています。
森保氏の愛称はポイチ
ポイチ~ (((o(*゚▽゚*)o)))♡
なにそれ?
実は、森保一氏の愛称なんです。
苗字「もりやす」名前「はじめ」さんなのですが、そう読んでもらえることはなかったようですね。
高校時代の試合、公式記録などで、苗字「森」名前「保一」と勘違いされることが多かったことから、同級生が「ポイチ」という愛称をつけたらしいです。
ポイチ・・・、とても可愛らしい愛称ですよね。٩( ‘ω’ )و
森保氏は、かわいい愛称「ポイチ」のイメージとは違い、今西和男氏によりますと、リーダーシップを持ち合わせる人物の一人が森保氏なのだそうです。絶対的信頼!!
ポイチからはイメージ遠いでしょう? Σ(・□・;)
森保氏が愛するご家族
森保氏は、1990年に一般女性とご結婚され、三人の息子さんがいらっしゃいます。
素晴らしいことに、その息子さんたちもサッカーをされているようです。
生まれた時から、そういう環境にあったのですね。
*長男:森保翔平(もりやす しょうへい)さん
生年月日:1991年8月17日
身長 / 体重:171cm/ 63kg
ポジション:DF
サンフレッチェ広島スクールから、広島ジュニアに入団。
2002年、森保氏のベガルタ仙台移籍に伴い仙台に移住し、虹の丘サッカースポーツ少年団でプレー。
2004年、広島ジュニアユースに入団。
2007年、広島ユースを経て、法政大学へ進学。
2014年~2015年、カマタマーレ讃岐とプロ契約。
もう無理だな。
RT @KeigoKm: 今日は静岡にきております。
パーキングに短冊あったんで書いてきました^_^
叶いますように。 pic.twitter.com/0aDgKAmXR1— 森保翔平 Shohei Moriyasu (@sho817hei) 2013年6月30日
*次男:森保圭悟(もりやす けいご)さん
2016年、流経大学卒業
現在、
オーストラリアのエッジワースFCでフォワードとしてプレイ。
初ハーバーブリッジお散歩🚶🏻♂️ pic.twitter.com/GODJbs8MyI
— Keigo Moriyasu/森保圭悟 (@KeigoKm) 2017年11月21日
*三男:森保陸(もりやす りく)さん
サンフレッチェ広島の育成組織に所属。
今年もお世話になりました🙇♂️
来年はユース生活ラスト、飛躍の年に! pic.twitter.com/LEKwMHklQp— 森保 陸 (@0727Riku) 2017年12月31日
*実弟:森保 洋(もりやす ひろし)さん
森保氏ご自身も兄弟で、共にサッカーを続けてこられました。
実の弟さんは元プロサッカー選手で、現在は指導に力を注がれています。
生年月日:1972年1月29日
身長 / 体重:170cm/ 65kg
ポジション:MF、DF
サガン鳥栖アカデミーダイレクターを経て
現在はV・ファーレン長崎アカデミーダイレクター兼U-18監督を努める。
指導歴
2001年 ~2003年 : サガン鳥栖 下部コーチ
2003年 : サガン鳥栖U-18 監督
2003年 : 2006年 : 久留米アザレアFC 総監督
2007年 : サガン鳥栖U-18 監督
2008年 : サガン鳥栖U-18 コーチ
2012年 : サガン鳥栖アカデミーダイレクター
ツイッターでは、このツイートを次男の圭悟(けいご)さんがリツイートされています。
この時代、本当に懐かしい… 😢 pic.twitter.com/mTiq8RCbAJ
— CesarePolenghi チェーザレ (@CesarePolenghi) 2018年3月3日
父親を尊敬し、父親の背中を見ながら、時に厳しく、愛情を受けて育ってきたことが伝わるリツイートです。
森保一氏が監督になろうが、なるまいが三人の息子さんにとって尊敬できる父親であることには変わりありませんね。
日本サッカー協会が、日本代表の次期監督候補の軸にしているワールドカップ(W杯)ロシア大会の森保一コーチ(49)に就任の意思確認を行ったことが10日、分かった。
日本人路線の継続を再確認した協会が同コーチの昇格を検討し、水面下で可能性を探っている。
代表監督を推挙する技術委員会は20日に開催され、それまでに調整を進める。
森保コーチは20年東京五輪(オリンピック)代表で、A代表との兼任監督として就任を要請することになる。
早ければ26日の理事会で決まる見通し。
いずれにしても、日本代表の次期監督が発表される日はそう遠くないでしょう。
発表を楽しみに待ちたいですね!!
・岩渕真奈(いわぶちまな)選手 ~アルガルベカップ2018 なでしこリーグ2018開幕へ!!
・プロ野球【オールスターゲーム2018】第2戦熊本~スタジアム当日のQ&A、球場周辺の様子やおすすめの交通アクセス方法、宿泊など
・高校野球熊本大会2018年夏【決勝】~日程、入場方法、持ち物、注意点や藤崎台球場周辺について
・女子カーリング日本代表「LS北見」~ おめでとう 平昌オリンピックで銅メダル獲得 [3月21日] 北見市凱旋パレード 報告会
・斯波正樹 (しばまさき)さん ~平昌オリンピック スノーボード男子パラレル大回転に挑む!!
・宇野昌磨(うのしょうま)さん 五輪報告会 パレードは? 世界選手権は? ~ 白銀の氷上を優しく 温かく 華麗に滑る理由
森保一(もりやすはじめ)氏がサッカー兼任監督に?!~気になる生い立ちから「ポイチ」の謎までを最後までお読みいただき、ありがとうございました。